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熊本銭湯の本棚『父・漱石とその周辺』『千駄木の漱石』

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『父・漱石とその周辺』夏目伸六

 

私は、小さい時分、父が、よく、日向水の様に生ぬるい湯に、長いこと顎までつかって居たのを思い出すが、江戸っ子には不似合いなぬる湯好きの癖に、私には、どう見ても、その様子から、風呂好きの父を聯想せずには居られないのである。尤も、当時は、随分と一般家庭の生活もじみなもので、私の家でも、薪を少しでも節約する意味からか、風呂は一日おきにしか沸かさなかった。それで父も、風呂の立たぬ日には、よく石鹸をぶらさげて、家の前のだらだら坂を左へおりた近くの銭湯へ出かけて行った。一体、あの辺は、早稲田南町と弁天町が、妙に入り組んだところで、たしかこの風呂屋も弁天湯とか云うのではなかったかと覚えている。が、その頃は、都心を外れたこんな土地でも、まだまだ、火傷する様に熱い湯に入らなければ、それこそ風呂に入る資格が無いと、無理に意気がる年寄連も多勢居たので、もともとぬる湯好きの父とすれば、寧ろ、これは苦手だったと思うのだけれど、それでも隔日に銭湯通いをして居たところを見ると、たしかに湯好きだったのには違いない。

 

・・・漱石先生はぬる湯がお好きだったんですね。

隔日に銭湯通い・・・熊本銭湯としては嬉しいです!

 

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『千駄木の漱石』森 まゆみ

 

ここ(『吾輩は猫である』)に千駄木の風呂屋が出てくる。

「うちの主人は時々手拭いと石鹸(シャボン)飄然といずれへか出ていく事がある。三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧たる顔色が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦しい(むさくるしい)男にこのくらいな影響を与えるならば吾輩にはもう少し利目があるに相違ない。」(途中省略)草津湯と言って、その十年前には森鴎外も弟たちと入った湯である。

 

明治38年の東京の銭湯の風景。千駄木の銭湯には漱石先生も鴎外先生もご入浴だったとは・・・。

遠く明治に思いを馳せる熊本銭湯でした。

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