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熊本銭湯の本棚『杉浦日向子の食・道・楽』

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『杉浦日向子の食・道・楽』 杉浦日向子

 

久しぶりに銭湯は、いかが

銭湯が大好きだ。他人同士が、はだかんぼで、ひとつ湯船に浸かっている。

赤ちゃん、子供、少女、娘、お母さん、おばさん、おばあさん。

いろんな形のはだかんぼ。あんな頃もあった。いつかあんなふうに老いていく。

ひとが群れてくらしていた原始の大気が、湯気に交じっている。

心の鎧が溶けていく。今晩あたり、家族か、むろんひとりでも、久しぶりに銭湯は、

いかが。

 

いろんなカタチ

他人のハダカの中で、自分もハダカで、一時を過ごすと、ほんのり寛ぎ、うっとり安らぐ。

湯気につつまれて、ココロやカラダの雑物が、毛穴からスーッと抜け出ていく。

わざわざ出かける温泉なんかじゃなくって、暮らしの寝食のあいだに、いつでも、

さりげなく、その暖簾は風に揺れている。「極楽に一番近い日常」である。

 

良く生きることは、よく老いること。生きていくことは、生老病死を、カラダに刻んでいくこと。

季節の移ろいを受け容れて、そして、まっとうな人生を実らせる。

たった四百円で、こんだけのことが、すきっと解っちゃうんだよ。みんながもらった命は、

世界にひとつだけで、みんなのハダカも世界で一つだけなんだ。

 

銭湯行きなさい、銭湯。理想的なハダカなんか、ひとつもない。みんなでこぼこで、おもしろい。

必要もないのに痩せたがったり、若造するのに、金と時間を使うのは、不健康だ。

その前に、十回銭湯に行くといい。赤ちゃんもおばあちゃんも、きょう一日は一度きり。

それぞれが、それなりのカタチで生きるのが、個性だ。

 

オトナに必要なものは「憩い」

オトナはくたびれている。

がんばって来た。ほんとうに良くがんばった。ぼちぼち、上手にサボろう。

オトナに必要なものは「憩い」。

憩うとは「ひとり」を楽しむ時間のこと。

予約やチケット無しに、ずっと身近に、日常の中で、自分自身を和ませなくては。

「憩」という字は、心の上に自らの舌が乗っている。心と自らと舌。これは、味わうことにより、

心身がいやされるということだろう。飲食のみならず、景色、出会いも味わいだ。

それを、ひとりで、する。ひとりで選んで、ひとりで行って、ひとり、味わう。

オトナなんだから、ワケないはずだが、案外、みんな、していない。

 

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・・・熊本銭湯は、あなたの「憩い」の場でありたいです。

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